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2023/02/06 15:22

こんにちは、山本被服の石井と申します。

当社は日本で最古のデニムブランドとして2021年より復刻プロジェクトを立ち上げ、
現在復刻したオーバーオールをメインに製造販売をおこなっております。

本日から不定期ですがブログをはじめます。
当社の歴史やプロジェクトの近況状況、商品の紹介など書かせていただきます。
初めはやはりスターオーバーオールの誕生について皆さんに知っていただければと思います。


~1913年、すべてを失った山本彦太郎がアメリカ行きの船に乗り込む~


明治の終わり山本家は馬喰(ばくろう)として牛や馬を売り買いすることで生計を立てていましたが、1910年、1911年の台風による大水害により財産である牛馬をすべて失ってしまい、家族を抱え、途方に暮れることに。。。ちょうどそのころ炭鉱夫としてアメリカ西海岸で出稼ぎの話があり、悩んだ末決断した先代の彦太郎は借金をして、妻と子供を置いて、船でアメリカにわたることになります。

~数か月で滞る送金、妻ゑき命がけの渡米~


彦太郎がアメリカにわたって半年、最初は毎月届いていた送金が滞るようになりました。小さな子供を抱え、生活もままならない事態に。
夫の安否もわからない中、妻ゑきは一大決心をします。子供を夫の両親に預け、自信も渡米を決断。
アメリカに夫を探す旅にでます。

~二人力を合わせたアメリカ生活が始まる~


渡米した妻ゑきが見つけたのは現地の生活に慣れず、仕事にも身が入らない日々を過ごしている彦太郎の姿、、、、
生来しっかり者で働き者の妻ゑきは、夫を励まし、自信も現地で洗濯婦として精力的に働きだします。
彦太郎も妻の姿に刺激され、慣れない異国の地ながら、二人力を合わせて身を粉にして働く日々が始まりました。

~時を忘れて働くこと10年。

炭鉱夫の作業着、オーバーオールの作り方を学び、再現。 スターオーバーオールの誕生~


1911年にアメリカにわたってから約10年が経ちました。
「そろそろ日本に帰って預けた子供と家族みんなで一緒に過ごしたい」
そのような思いから、現地でもっとしっかり稼ぎながら、帰国後に生活の糧となるような商売を見つけたい。
妻ゑきは数年前からこう考えていました。
そんな中、ある日妻ゑきが炭鉱夫が着ている作業着に注目します。

「あれを日本に持って帰って商売にしたら当たるのでは、、、」

妻ゑきは炭鉱夫が作業着として広く着られていたストロングホールド社のオーバーオールを取り寄せ、分析、同じクオリティのものが作れるよう研究し、一枚ずつ手作業で縫い始めます。
出来上がったオーバーオールを、「スターオーバーオール」と名付け、ゑきが現地の炭鉱夫に売り歩き始めると徐々に評判となり、人気ブランドとして現地でも使われるようになりました。
時は1923年(大正12年)、アメリカロサンゼルスにて「STAR OVERALL MFG CO.」を創業
日本人が始めたデニムブランドがアメリカで誕生しました。



~帰国。日本でデニムメーカー「山本被服製造所」を創業~


スターオーバーオールが生まれてからさらに3年が経った1926年。事業も軌道に乗ってきて売り上げも安定してきたころ、
夫婦はついに帰国の決断をします。事業の幹部とデニムづくりの機械と材料やノウハウを持って日本行きの船に乗り込みます。

1か月後無事に帰国した二人は、静岡県沼津市にてアメリカから持ち帰ったデニムづくりのノウハウを活かした、
作業服製造販売会社「合資会社山本被服製造所」を創業。日本初のデニムメーカーが誕生することになりました。





国内の農業、酪農などを中心に丈夫な作業服として人気を博し、発展した当社でしたが、第2次世界大戦の空襲で全焼、デニム製造の機械や当時の製品はすべて焼かれてしまい、現在残っているのはミシン1台だけ。山本被服は一般の作業服、制服メーカーとして再建し現在に至ります。



いかがでしたでしょうか?
僕達は初めてこの歴史を知った時、心が奮えました。
彦太郎さんと妻ゑきさんの人生を知り、日本最古のオーバーオールにロマンを感じ
現代からこれから更に100年先の未来へも繋ぐためにもっと広めていけたらと思い
プロジェクトチームを発足しました。

これを読んだ方にも共感して復刻したオーバーオールに興味をもっていただたら幸いです。
あなたも「未来のヴィンテージ」を一緒に創りませんか?
それでは♪