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2023/02/28 15:00
こんにちは、石井です。
前回のブログではスターオーバーオール誕生秘話について書かせていただきましたが、
今回はオーバーオール復刻プロジェクトの発足の背景について書きたいと思います。
1926年静岡県沼津市で設立した「合資会社山本被服製造所」ですが、
当時日本には工業的に作った作業服というものはなく、民間企業で日本初の工業被服工場となりました。
こうして素材も機械技術もすべてがアメリカ仕込みという山本被服は、戦時中になると海軍指定・陸軍監督工場となります。
1945年の第二次世界大戦時、デニム製品を縫う傍ら軍需工場としても稼働していた山本被服ですが、
終戦間際の7月17日、沼津大空襲により工場、機械、製品、すべてのものが跡形もなく焼けてしまいました。
当時まだまだ現役で働いていた妻ゑきが、どうにか1台のミシンだけは池の中に隠し難を逃れましたが、
たった1台のミシンでは今まで通りの製品を縫うことは到底できませんでした。
唯一残ったこれまでの技術を元に一般作業服の工場として立て直し、現代に至ります。
時は流れ、
2010年、雑誌「monoマガジン」から一本の電話が入ります。
「御社が日本で初めてデニムを制作した会社だと伺ったのですが本当ですか?」
お恥ずかしながら、実はそのころの当社社員は僕も含めそのことをあまり知らず、、、
これをきっかけに社長から当社の成り立ちから今までの経緯を知らされました。
そんな中、はじめての話に驚くとともに誇らしい気持ちが同時に芽生えた開発責任者の富所さんは、
「いつかこれを再現したい!」と思うようになりました。
それからというもの、、、
デザインもできないしミシンも踏めるわけでもない富所さんが、仕事の合間に何かせっせと作業をしている姿をみかけるようになりました。
後からわかったことなのですが、富所さんは独自に当時の資料をかき集め、デニムの型紙やディテールのデザインがどのようなものであったのか調べ上げ、復刻に向けた試作を何度も繰り返していたのです。
そして試作の再現度が高まったところで、デザイナーである僕の元に、
「当時の紙パッチとできるだけ似た感じでデザインを作ってくれ!」
と突然依頼をしてきたのです。
その時には、monoマガジンから電話があったあの日から、すでに10年の時が過ぎていました。
※左が石井がデザインして作成したもの
右がたった1枚だけ現存する当初使用していた紙パッチ
完成した製品を社内で披露したところ社長から「よくやってくれた!」と認めてもらい、いよいよ本腰をいれてやってみようとなり
2021年スターオーバーオールプロジェクトチームが発足されることになりました。
プロジェクトチームメンバー 左から 山本陵 石井智洋 富所勢
いかがでしたでしょうか?
つらい歴史を乗り越えてやっとの思いで復刻したオーバーオールはメンバーの自信をもった出来に仕上がりました。
今後もデニム共々プロジェクトメンバーも一緒に成長していければと思いますので
是非皆さん応援よろしくお願いいたします。
次回は発足したスターオーバーオールプロジェクトのメンバー紹介を書きたいと思います。
それでは♪