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2026/04/04 17:00

こんにちは!
日本最古のデニムブランド「STAR OVERALL」の広報担当Mです。
前回は・・・
アメリカにいる彦太郎から送金が途絶えたことをきっかけに、自らも渡米した妻ゑき。
生活を立て直すべく奮闘した二人が、「STAR OVERALL」を作り上げる原点のお話でした。
前回のお話はこちら
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
【日本最古のデニムブランド物語】2/5:アメリカで生まれた、日本人のデニムオーバーオール 【其の弌】
今回のお話は、
「STAR OVERALL」を日本へ持ち帰るところから始まります。
沼津の工場にいると、ときどき不思議な感覚になります。
いま僕らが当たり前のように扱っているデニムやオーバーオールが、
この場所で、最初はまったくの“未知のもの”だった時代があるということ。
しかも、それは100年前の話です。
社内で誰かがぽつりとこぼした言葉・・・
「当時、日本にデニムなんてなかったんだよ」
今回はいよいよ、日本にはじめてデニムが持ち込まれたお話です。
アメリカで掴んだものを、持ち帰るという決断
前回までの話で、STAR OVERALLがアメリカで一定の成功を収めたことに触れました。
ただ、妻のゑきは数年前から、帰国して家族とともに暮らすことを見据え、炭鉱夫の作業着に目をつけたのでした。
家族が母国にいるとはいえ、アメリカで繁盛した商売を手放し、日本で再スタートをする決断は勇気が必要だったはずです。
それでも、彼らは日本へ戻るという選択をしました。
家族も残しているし、一見「そりゃそうか」と流してしまいそうですが、
当時の状況を想像してみると、いかに攻めの決断だったのかが見えてきます。
元々は、日本から炭鉱夫として稼ぐために渡米した彦太郎。
夫を追いかけ、現地で炭鉱夫の作業着に着目し、事業化したゑき。
客観的に見れば、既にニーズがあることが分かっている所で正当に勝ちに行ったとも言えます。
慣れない海外の地で、
試行錯誤・苦労の末だったことは史実からも伺えますが、
海外から労働者が流入するほど人手不足な産業で、
労働者が身につける消耗品を商売にする
こう書くと、「良い所に目をつけた」と感じる方も多いのではないでしょうか?
しかし、当時の日本では、アメリカほど炭鉱の仕事は栄えていないですし、何よりデニムという文化がありません。
オーバーオールも、ほとんど知られていない。
つまり、
需要を確認してからスタートしたアメリカとは、
事業立ち上げの難易度がまったく違う
実際のところは、アメリカと日本での創業の比較で、課題の違いや苦労話など、詳細は残っていません。
とはいえ、素人目線でもかなりチャレンジングな判断だったと思います。
「海外の成功事例を逆輸入する」というのは、今でこそ一般的ですし、
市場が全く異なり、失敗するケースすら多いらしいですね。
そんな中、100年も昔に未開の地でビジネスを成功させ、さらにそれを日本に逆輸入し、再スタートを切る商売人としてのバイタリティ
前回から引き続き、
僕がゑきにシビれている所でもあり、
ブランドの歴史として、カッコよさを感じずにはいられない部分なのです。
1926年、沼津でのスタート
1926年、ついに山本被服製造所が、静岡・沼津で創業します。
ここから、日本でのSTAR OVERALLの物語が始まっていきます。
ただ前述の通り、このスタートは決して簡単なものではなかったはずです。
デニムという素材自体が珍しい。
オーバーオールという服の形も馴染みがない。
今でこそ、作業着といえばすぐにイメージが湧きますが、当時は違います。
日本では、まだ着物やもんぺが当たり前の時代です。
作業服という文化も、デニム生地もほとんど知られていない。
そんな状態から、山本被服はアメリカでの成功体験を頼りに、
農業・酪農などを中心に「丈夫な作業服」として人気を呼んでいったのです。
児島ジーンズとの文脈の違い
アメリカで成功した作業服:デニムのオーバーオールを日本に逆輸入したのが、日本最古のデニムの起点であり、ニーズに合わせ、
農業・酪農を中心にまたしても成功を収めたのが、山本夫妻の手腕だったのです。
ここが、デニムで有名な岡山の児島とは大きく文脈が異なる点です。
現、岡山県倉敷市の児島は、実ははるか昔、江戸時代から綿花を栽培し、
帆布と足袋で一大産地となっていました。
その後、学生服の生産量で日本一となります。
元々、厚手コットン産業の土壌は既にあったのですね。
1960年代、戦後一気に合成繊維が台頭し、学生服市場が縮小。
1965年に本場アメリカのデニム生地を使ったジーンズを生産開始。
これが児島デニムの起点と言われているようです。
ジーンズ自体は、戦後闇市で出回り、1960年代には輸入品として既に流行し始めていました。
つまり、江戸時代から脈々と受け継がれる綿花栽培と学生服・作業服の縫製技術が土台となり、
既に浸透していたデニムを国産化し、一大産業にしたというのが、児島デニムの歴史です。
デニム・ジーンズがファッションとして流行するよりずっと昔、
「デニムオーバーオール」という労働者のための作業着を持ち込んだ、
あくまで労働者のためのユニフォームだったのが、山本被服の文脈です。
このユニフォームとしてのデニムオーバーオールを、
当時のまま復刻したのがSTAR OVERALLです。
だからこそ、生粋のデニムマニアの方にはピンとこないアイテムに見えるかもしれません。
でも、だからこそ、元々デニムに詳しいわけではない僕や、
社内のオジサマたちは、このSTAR OVERALLに魅了されています。
戦後のアメ横で輸入ジーンズが流行り始めるよりずっと昔に、現場で戦う労働者のために作られた、日本最古のデニムユニフォーム
同じデニムブランドでも、歴史を紐解くとストーリーが全然違うんです。
ヒゲとかステッチのこだわりは、僕は正直よく分かりません。
「日本最古のデニム、それは労働者のためのユニフォーム」
この歴史・ストーリーを身に纏う
そんなSTAR OVERALLの唯一無二の魅力を、もっと多くの方に知っていただきたいのです。
日本最古のデニムが生まれた場所
こうして振り返ると、STAR OVERALLが「日本初」ではなく、
「日本最古」のデニムと表現しているのもしっくりくる気がします。
ただ古い、という話ではないんです。
まだ何もなかった場所に、デニムという文化を持ち込んだ。
オーバーオールという働くための服を、日本で作り始めた。
僕らが今触れている一着の背景には、そういう時間が積み重なっています。
工場でミシンが動く音を聞きながら、ふと考えることがあります。
もし彼らが、あのとき日本に戻っていなかったら・・・
もし子供も連れてアメリカで事業を拡大していたら・・・
児島ジーンズより前に、人知れず誕生していたデニムのユニフォームは、存在していなかったかもしれません。
そして、この先に大きな転機が待っています。
輸入ジーンズが流行したきっかけは、戦後のアメ横でした。
一方で、戦争により日本最古のデニムブランドは 途絶えてしまうことになります。
次回は、日本最古のデニムのあまりに早い終焉と、その後の山本被服の歴史について触れていきます。
そこから現代へ戻り、復刻プロジェクトへと繋がっていくのです。
ぜひ、続きもお楽しみに!
物語のはじめから読みたい方は、こちらから
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【日本最古のデニムブランド物語】1/5:とある夫婦の話から始まる、日本最古のデニムの原点
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