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2026/04/27 18:15

こんにちは!
日本最古のデニムブランド「STAR OVERALL」の広報担当Mです。


前回は・・・
空襲で工場が全焼し、ミシン一台だけを残して消えたSTAR OVERALLが、戦後どのように山本被服として生き延び、ユニフォームメーカーとして地道に歩み続けたかをお伝えしました。


前回のお話はこちら
↓ ↓ ↓ ↓ ↓

【日本最古のデニムブランド物語】4/5:消えたブランド、続いたものづくり


今回のお話は、2010年のある一本の電話から始まります。
復刻のきっかけを作った電話主は、なんと雑誌の「monoマガジン」でした。



「日本で初めてデニムを作った会社では?」


2010年、雑誌「monoマガジン」から山本被服に一本の電話が入ります。



「御社が日本で初めてデニムを製作した会社だと伺ったのですが、本当ですか?」



その問いに、受話器を持った社員はすぐには答えられなかったといいます。


当時の社員の多くは、自分たちの会社にそういう歴史があることを、ほとんど知らなかったのです。


電話をきっかけに、社長から改めて会社の成り立ちを知らされることになります。


創業者の山本彦太郎・ゑき夫妻がロサンゼルスで起こした日本最古のデニムブランドであること。


1926年に沼津で再スタートし、農業や酪農に携わる人々に広まったこと。


1945年の沼津大空襲で、工場も機械も製品も、すべてが焼け落ちたこと。


残ったのは、ゑきがとっさに池の中へ沈めたミシン一台だけだったこと。


その話を聞いた現STAR OVERALL開発責任者の富所さんは、事実であることに驚くとともに、使命感のようなものを持ったといいます。


「いつか必ず復刻する」と。



誰にも言わずに、せっせと作業をしている姿


富所さんはデザイナーでも、ミシンが踏める職人でもありません。


仕事は営業です。


それでも、monoマガジンからの電話があった後から、仕事の合間を縫っては何かせっせと作業をしている姿が目撃されるようになりました。


後から分かったことですが、当時の資料をかき集め、型紙やディテールのデザインがどのようなものだったのか独力で調べ上げ、復刻に向けた試作を何度も繰り返していたのです。


周囲から見れば、誰かに頼まれたわけでもなく、予算がついているわけでもない。


でも富所さんは続けました。


気が付くと、電話があった日から10年の時が過ぎていました。


十分な再現度に達したと判断した富所さんは、社内のデザイナーである石井さんのもとへ向かい、こう依頼します。


「当時の紙パッチとできるだけ似た感じでデザインを作ってくれ」


その言葉を受けた石井さんが手がけた新しいロゴを、現存する当時の紙パッチと並べた時、完成したものが何かを証明していたのだと思います。



                               再現した紙パッチ(左) / 現存する当時の紙パッチ(右)



社長から「よくやってくれた」という言葉が出て、
2021年にSTAR OVERALL復刻プロジェクトが正式に発足しました。



「ただ復刻すればいいのではない」


復刻にあたって、プロジェクトチームには一つの共通認識がありました。


「1923年、創業者がSTAR OVERALLに込めた思いを蘇らせるために、なにひとつ妥協は許されない」


という姿勢です。


しかも、現在のスタッフは、誰もオーバーオールなんて作ったことがない。


現物もなく、あるのは当時の写真と簡単なメモだけです。


「多分こうだったのでは?」と想像するしかない状況での、復刻プロジェクトです。


生地は、当時のワークウェアの堅牢性を現代に再現した13.25オンス


当時画期的だったとされる三本針での縫製


細部にわたるコバステッチ


オリジナルを活かしたサスペンダー仕様のバックスタイル


胸には創業時のSTAR OVERALL MFG CO.のロゴ


腰には復刻STAR OVERALLのロゴ


そして最初に生産した100着それぞれに、シリアルナンバーを刺繍し、クラウドファンディング Makuakeを通じて初めて世の中にお披露目をしました。


なぜシリアルナンバーなのか。


製品を手にしてくださった一人ひとりと、100年を超えた歴史の先でつながったことの証にしたかったからだと、当時のメンバーは言います。


2021年、Makuakeでの第一弾販売は大きな反響を呼びます。


目標金額300万円に対し、期間内に多くのサポーターが集まりました。


限定100着は完売。


日本最古のデニムブランドの復刻を知った人々が、各地から手を挙げたのです。


その後、地元・静岡のSBSラジオ番組「まだ帰りたくない大人たちへ チョコレートナナナナイト!」でも取り上げられ、STAR OVERALLのストーリーが静岡のリスナーたちの間で話題になりました。



一本の電話が、ここまで来た


STAR OVERALLプロジェクトはその後も続きます。


Makuakeでは第二弾・第三弾のプロジェクトを展開。


monoマガジンをはじめ、複数のメディアにも取り上げられるようになりました。


株式会社ホンダモーターサイクルジャパン「ダックス125」との初のコラボ商品も実現。


静岡を拠点とする同じモノづくりの企業として、ユニフォームという文脈で結びついた縁でした。



株式会社ホンダモーターサイクルジャパンとの第一弾コラボはこちら
↓ ↓ ↓ ↓ ↓

STAR OVERALL DAX125(M (32) B (ブルーデニム)): ウェア・グッズ|HondaGO BIKE GEAR


株式会社ホンダモーターサイクルジャパンとの第二弾コラボはこちら
↓ ↓ ↓ ↓ ↓

デニムジャケット(M ブルーデニム): ウェア・グッズ|HondaGO BIKE GEAR



地元サッカークラブ・アスルクラロ沼津の選手移動着としての起用や、選手との限定コラボも実現し、地域に根を張りながらブランドは広がり続けています。


【お知らせ】山本被服株式会社  オーバーオール贈呈式 | アスルクラロ沼津 オフィシャルサイト


「ユニホームはオシャレなオーバーオール」選手とサポーターを繋ぐ 地元企業とJリーグクラブのコラボが地域盛り上げに【しずおか産】 | 静岡のニュース | SBSNEWS | 静岡放送 (1ページ)




会長の山本豪彦さんはこう言います。


「まさか復刻できるとは思っていませんでした。熱意をもって現実にしてくれた社員たちに感謝しています」と。


社長の山本陵さんも、復刻できたこと以上に、どういう経緯をたどって生まれ、受け継がれたのかを改めて認識できたことが重要だったと語ります。


100年以上前、曾祖父(彦太郎)がアメリカに渡ったこと。


その後を追って曾祖母(ゑき)が女性でありながら単身渡米し、会社を立ち上げた事実。


「本当に創業者はすごかった」と語っています。


2010年の一本の電話が、こうなるとは誰も思っていませんでした。


富所さんが一人でせっせと試作を続けた10年間


石井さんが紙パッチのデザインを引き受けた日


プロジェクトチームが結成された2021年


100年前の山本夫妻が始め、そして終わりかけた物語をしっかりと紡いで、今この瞬間も、STAR OVERALLプロジェクトは動き続けています。


「いつかアメリカ本土で売り出したい」


というのが、今の山本被服の夢です。


創業者が100年前にその地で生み出したブランドを、もう一度その場所へ。


その夢は、まだまだ道半ばです。


こんなにも長い歴史とストーリーを背負ったSTAR OVERALLを、もっと沢山の方に知って欲しい。


僕はそんな思いで、今後も記事を更新していこうと思います。





全5回のシリーズでSTAR OVERALLの歴史を辿ってみました。
ここまでお読みいただいた皆様、ありがとうございます!
まだの方は、ぜひシリーズ1話からお読みいただけたら嬉しいです。


【日本最古のデニムブランド物語】1/5:とある夫婦の話から始まる、日本最古のデニムの原点


【日本最古のデニムブランド物語】2/5:アメリカで生まれた、日本人のデニムオーバーオール 【其の弌】 / 【其の弐】


【日本最古のデニムブランド物語】3/5:100年前、日本に「デニム」を持ち込んだ人たち


【日本最古のデニムブランド物語】4/5:消えたブランド、続いたものづくり




日本最古のデニムブランドの歴史と、この復刻プロジェクトの軌跡。
気になった方は、ぜひ一度サイトを覗いてみてください。


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